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東京高等裁判所 昭和56年(う)2065号 判決 1983年9月19日

主文

原判決を破棄する。

被告人鈴木常春を懲役七年に、被告人彦田英一を懲役五年に、被告人森誠一郎を懲役五年にそれぞれ処する。

原審における未決勾留日数中、各一八〇日をそれぞれ右の刑に算入する。

原審における訴訟費用中証人吉田俊雄に支給した分は被告人鈴木常春の負担とし、当審における訴訟費用中、証人〓慶禄、同小平シズエ、同河西常春、同細川匡二、同宮地公洋に支給した分は被告人三名の連帯負担とする。

理由

被告人鈴木常春の本件控訴の趣意は、同被告人の弁護人安藤貞一作成名義の控訴趣意書及び同補充書に、被告人彦田英一の本件控訴の趣意は、同被告人の弁護人萩原健二作成名義の控訴趣意書に、被告人森誠一郎の本件控訴の趣意は、同被告人の弁護人水口昭和作成名義の控訴趣意書に、それぞれ記載されているとおりであり、これらに対する答弁は、検察官渡邉正之作成名義の答弁書に記載されているとおりであるから、これらをここに引用する。

第一、被告人三名の弁護人の各控訴趣意第一点、事実誤認、法令適用の誤りの論旨について

所論は、いずれも、各被告人においては、被害者藤野秀雄を殺害する故意は未必的にもなく、藤野殺害を共謀した事実がないにも拘らず、原判決が、これ有りとして、被告人三名が、藤野を水中に転落させることにより、同人が死亡するのもやむを得ないと決意し、その旨意思を相通じて、同人を原判示新左近川の水中に転落させて溺死するに至らしめて殺害した旨認定したのは、証拠の評価を誤り、その結果事実を誤認し、法令の適用を誤つたものである、というのであり、その理由として、被告人らの弁護人は、被告人三名の検察官に対する各供述調書中、原判示認定にそう供述記載部分の信用性を争い、被告人彦田、同森の各弁護人は、彦田と森の検察官に対する供述調書は、被告人らを取り調べた警察官の誘導、連日長時間にわたる取り調べの結果疲労困憊し、かかる状態においてなした被告人らの虚偽の自白を記載して作成された任意性も信用性もない司法警察員に対する供述調書を土台として作成されたものであるから信用性がない旨主張し、また森の弁護人は、森には藤野殺害の動機が存在しないとも主張している。そこで、当裁判所は、各所論に徴し、記録並びに原裁判所が取り調べた関係証拠を検討し、当審における事実取り調べの結果を総合勘案して、次のとおり判断する。

(1)  被告人鈴木常春(以下「被告人鈴木」または単に「鈴木」と略称する。)の取り調べを担当した警察官河西常春、被告人彦田英一(以下「被告人彦田」または単に「彦田」と略称する。)の取り調べを担当した警察官細川匡二、被告人森誠一郎(以下「被告人森」または単に「森」と略称する。)の取り調べを担当した警察官宮地公洋の三名は、当審公判廷において、いずれも自己が取り調べた被告人に対し、供述の矛盾点、納得できない弁解、解明すべき疑問点につき追求したことはあるものの、誘導、事実の押しつけ、不当に長時間にわたる取り調べ等、任意性に疑問を抱かせるような取り調べをした事実はなく、各被告人とも反省した態度で供述した旨証言しており、被告人三名の司法警察員に対する各供述調書の記載内容を検討してみると、第三現場で藤野のズボンを脱がせた事実の存否に関し森と彦田の間でも、この点に関し捜査官に対して供述するところは一致しているわけではなく、彦田にあつても、第二現場から第三現場へ向かう自動車内における被告人らの位置関係については森の供述と全く異なる供述をしており、第二現場から第三現場へ移動する際の彦田自身の意図や他の被告人の意図について必ずしも一貫した供述をしているわけではないこと、森にあつても、第二現場で鈴木の暴行を制止するに際し、鈴木、彦田が「森が海に沈めちやおうなどと言つた。」旨捜査官に供述しているにも拘らず、森の司法警察員に対する供述調書中にはこれを認める供述記載がないことなどをはじめ被告人三名とも、殺人罪の成否に影響を及ぼす事項につき、信用できるか否かは後に検討するが、捜査官に迎合したとか、他の被告人が供述しているからなどと押しつけられるままにそれに合致するような供述をしてしまつたとは認められない供述記載になつている。

なるほど被告人森は、当審公判廷において、警察官宮地公洋から、取り調べの際「君は傷害致死の幇助だから大したことはない、大丈夫だ。」などと言われたとか、森が宮地警察官に迎合するような供述をしないと妊娠中の内妻を呼んで調べるなどといわれたとか、起訴前の勾留期間中に同警察官から、寿司、カツ丼、そば等の馳走をしてもらつたり、内妻が生活保護を受けるにつき便宜を図つてやるなどといわれたため、同警察官に迎合する供述をした旨供述するが、これらは証人宮地公洋の当審公判廷における供述、当審で取り調べた被告人森にかかる高輪警察署の留置人名簿、留置人一時預り金出納簿、留置人接見差入簿の各記載、それへの森の指印押捺の状況、さらには被告人森の各供述調書と他の被告人のそれとの供述内容の相異点等を総合すると、森の右当審公判廷における弁明部分は直ちに措信することができない。

以上検討したところによれば被告人らの司法警察員に対する供述調書の任意性はこれを認めるにつき十分である。

(2)  被告人三名は、それぞれ検察官に対する各供述調書中においては、一応本件犯行を自白してはいるものの、その自白内容は各被告人相互間で必ずしも一致しているとはいえず、また、各被告人の司法警察員に対する多数の供述調書と対比してみると、被告人各自においても変遷がないわけではなく、原審公判段階に至ると被告人三名とも本件犯行を否認し、原判決が争点に対する判断の項で指摘する部分を含め、それぞれの立場から種々弁明をしている。そして、本件のごとく、数名共謀あるいは共同してなした犯罪にあつては、被告人が自己の刑責を免れ、あるいは、刑責の軽減を図るべく、自己に不利益な事実を隠蔽し、互いに他の共犯者にこれをおしつけるなどすることがあることは、当裁判所のまま経験するところであり、この点からも、共犯者間の供述内容については他の関係証拠と対比し、その信用性は慎重に検討されねばならないところであるから、以下被告人らが第二現場から第三現場へ移動する経緯、第三現場における被告人三名の言動等につき慎重に検討を加える。

(3)  第二現場から第三現場に移動した経緯について、原判決は、「争点に対する判断」の項で、被告人森が、第二現場において、被告人鈴木、同彦田の藤野に対する暴行を制止した際被告人鈴木に対し、「やめろよ。ここでやつたらやばいよ。もつといい方法がある。海に沈めちやおう。」等と申し向け、このことが鈴木をして藤野を海に沈める気持を起こさせ同人を殴るのを中止し、第三現場へ向かわせた旨、被告人彦田にあつても鈴木、森の右意図を認識していたと認めるのが相当であると認定し、その根拠づけの一つとして、被告人鈴木は、自己に罪責が及ぶ危険があるにも拘らず、捜査官に対して、被告人森が第二現場で鈴木の暴行を制止した際、「海に沈めちやおうとの趣旨のことをいつた。」と捜査の初期の段階から一貫して述べている点をあげている。

たしかに、被告人鈴木の検察官に対する昭和五六年二月一七日付供述調書(以下検察官に対する供述調書については「検調」あるいは「検面調書」といい、作成年月日については、昭和五六年作成のものについては月日のみを「2・17」のごとく表示する)第六項、及び2・25検調第二項には、右原判示認定にそう供述記載があり、司法警察員に対しても同旨の供述をしており、被告人彦田も捜査段階においては、右鈴木の検調にそう供述をしている。

そして、被告人鈴木が、「森が第二現場で前記のごとく藤野を『海に沈めちやおう。』といつた」旨捜査官に述べることが、被告人鈴木にとつて自己に罪責が及ぶ危険を生じさせる事情の一つとなることは否定し得ないところである。しかしながら、被告人鈴木としては、第二現場から第三現場へ移動した契機(更にいえば、藤野を海に沈めることになつた原因)は専ら森の右「海に沈めちやおう。」などとの発言にあり、被告人鈴木自身としては、単に森の右発言に従つたまでであると弁明することにより、自己の刑責を軽減することとなることも否定し得ないところであるから、被告人森が右第二現場でしたという発言を第二現場から第三現場への移動の契機として原判決の如く指摘、強調することには問題がある。

しかして、被告人森は、同人の2・17検調第四項中で、右鈴木が言う森の第二現場発言の事実を否定し、2・24検調第四項では、「鈴木と彦田が、そういうなら自分が言つたかも知れない。」というあいまいな形で鈴木のいうところを認めるかのごとき供述をしている一方、被告人森は右2・24検調記載部分を除くと、捜査、公判段階を通じ、これを否定し、一貫して、鈴木らの藤野に対する暴行を制止するに至つた事情として、鈴木らの暴行の激しさと藤野の口頭での強がりに対する悪感情をあげて、鈴木に対し「あんちやんもういいだろう。どうすんだよ。」と暴行制止かたがた鈴木らが藤野をどうするのかと問いかけこれに対して鈴木が「この野郎埋めちやうんだ。」と答えたので第三現場へ鈴木らを案内する結果となつた旨供述しており、この部分も、前記被告人鈴木が森の「海に沈めちやおう。」などといつたため第三現場へ行つたのである旨捜査官に供述する部分に対すると同様、第二現場から第三現場へ移動した動機、要因が被告人鈴木の側にあることを述べることにより、自己の刑責の軽減につながることともなることは否定し得ないところである。そして、被告人森が本件に関与するに至つた事情、藤野に対する関係での鈴木や彦田の立場との相異等を考慮すれば、森が第二現場で鈴木らの藤野に対する暴行を制止した際、鈴木に「あんちやんもういいだろう。どうすんだよ。」など問いかけた旨検調中で述べるところは、不自然ではないが、鈴木が「この野郎埋めちやうんだ。」などと言い、そのことが第三現場へ移動する直接の契機となつたとの被告人森の供述記載部分の信用性にも問題が残るのである。

被告人森については、鈴木、彦田と違つて、本件以前から藤野にうらみを抱いていたこともなく、たまたま本件当夜鈴木の要請を受けていわゆる首実験をし、第二現場へ同行するに至つたもので、第二現場では藤野に対する暴行に加わつてはいないこと、鈴木らの藤野に対する第一、第二現場における暴行は執拗かつ激しいものであつたこと、被告人森としては、第二現場における鈴木らの暴行の執拗さや、激しさを目のあたりにして、その暴行を制止したものであり、興奮している鈴木もそれに従つたことからすると、被告人鈴木、同彦田、同森の検面調書中にある、第二現場での森、鈴木の各発言をつなぎ合わせて、そのまま被告人森、同鈴木の第三現場での発言内容とすることはできないが、被告人森自身も第三現場に行つていること及び同現場での被告人らの後述する具体的行動を加味考慮すると、その内心の意図がどこにあつたかはともかく、被告人鈴木と同森の間で「埋めちやう。」とか「沈めちやう」等との言葉が交わされ、これを被告人彦田も聞いていたことは少なくとも認めることができる。

しかしながら、後述する第三現場での被告人三名の具体的言動に照らすと、第二現場で、被告人鈴木と同森との間で右のような話が交わされ、これを被告人彦田が聞いたとしても、被告人らが、この時点でその言葉どおり藤野を殺害する目的をもつて第三現場に赴いたとは、いまだ断定することはできないというべきである。

(4)  被告人らが第三現場へ到着後藤野を高水敷に連行した状況についての被告人三名の原、当審公判におけるそれぞれの弁解については、原判決が争点に対する判断の項で指摘する部分を含め不自然、不合理と思われる点が相当含まれており、従つて、被告人三名が、第三現場に到着後新左近川水門脇の高水敷まで藤野を伴つて移動した際における被告人三名の発言や行動の具体的内容について、捜査段階で供述する部分がすべて虚偽であるとして排斥することはできないが、さりとて、それをそのままつなぎ合わせ、被告人間で、同人らの前記検調中で自白するような言動があつたとして、一連の事実があつたと認定することは危険であるが措信しうる供述記載によれば、少なくとも、原判決が「争点に対する判断」の項で認定する、被告人鈴木が新左近川の岸から約五メートルの地点まで延びている作業用仮道路のほぼ行止まりの地点に車を停めたのち、まず被告人鈴木と同森が下車して周囲の状況を窺い、次いで被告人彦田が鈴木の指示により藤野を降ろすと、そのまま被告人三名が藤野を引きたてあるいは追いたてるようにして新左近川水門脇の高水敷の上に連行したとの事実は、これを肯認することができる。

(5)  関係証拠によれば藤野は昭和五六年一月一二日、荒川河口の東京ヘリポート護岸東方約三〇〇メートル位の水上において、水死体で発見されたが、その時点では白長袖肌着、柄パンツ、白ズボン下、紺色様ハイネツク長袖シヤツを身に付けていただけであるところ、関係証拠、特に証人〓慶禄、同小平シズエの当審公判廷における供述によれば、藤野は、本件当日、胸に「藤田土木」の名称の入つた防寒ジヤンバー、小豆色の防寒ズボンを着用し、白の靴下をはいていたことが認められる。

しかして、関係証拠によれば、当審で取り調べた防寒ズボン(東京高裁昭和五六年押第七二〇号符号2)は、昭和五六年二月七日午後四時第三現場から前記藤野の死体が発見された地点と同方向である荒川下流、約一・五キロメートル離れた人工なぎさ海岸において、完全に裏返しで、しかも股及び両裾の各チヤツクがすべてはずされた状態で発見、押収されたものであり、藤野が本件当時着用していたものであることは前記当審証人〓、同小平の各証言により明らかである。そして、被告人彦田は、原審、当審公判廷で、藤野が水中に転落する折ジヤンバー、ズボンを着けず、シヤツとズボン下の状態であつたと供述している。右藤野の本件当夜の服装、死体で発見された際における着衣の状況に加えて、第一、第二現場で激しい暴行を受け衰弱していた藤野が、真冬の深夜、新左近川の護岸間近で、自ら進んでジヤンバーやズボンを脱ぐなどということは不自然であることに鑑み、被告人三名の捜査官に対する供述、原審及び当審における弁解を詳細に検討してみると、被告人彦田の2・23検調第八項の「三人(被告人三名の意味)で最初に藤野さんを連れて丸印のところ(同検調添付の第三現場略図中に被告人彦田が青色ボールペンでつけた丸印で、他の関係証拠〔特に、東京都建設局主事新原義明の同年二月一二日付員調添付現場見取図(その1)〕と対比すると、第三現場の作業用仮道路の新左近川寄り先端部分と思われる場所)まできたとき、森が『この野郎のジヤンバーにはネームがついているし、血もついている。まずいから脱がせよう。』と言い出したのです。………その森の言葉で私も防寒着にネームが入つているのを思い出し、ネームが入つているのは脱かせた方がよいと思つて、仰向けに倒れていた藤野さんの上体を起こし、防寒着のボタンはもうはずれていましたから、半分脱げかかつている防寒着を私が脱がせたのです。………その防寒着はその場においた記憶があります。私が防寒着を脱がせているとき、常春が藤野さんの腰のあたりをめくるようにして、そのズボンを脱がせていました。………ズボンを常春が脱がせたとき森も少し手伝つていたような気もするのですが、この点ははつきりしません。また、具体的な細かい記憶はないのですが、藤野さんのはいていた白つぽい靴下もこのとき脱げたように記憶しているのです。」との供述記載および被告人森の2・24検調第八項の「この<1>〔同検調添付第三現場略図に被告人森が書き入れた数字で、前記新井の2・12員調添付現場見取図(その1)等と対比すると第三現場の新左近川水門西南の高水敷部分である〕のところで鈴木が『どうせ落としちやうんだから服を脱がせちやえ』と言い、私も『うん脱がせた方がいい、脱がせちやえ』と言つた記憶があります。そして彦田が藤野さんのジヤンバーを脱がせていました。また、鈴木が藤野さんの腰のあたりのズボンを引張つていた記憶があるのです。彦田がジヤンバーを脱がせていたのは明確な記憶がありますが、藤野さんのジヤンバーのボタンはもうはずれており襟首も上にあがつており、一応腕は通つていましたが、ちよつと引張ればすぐ脱がすことができるような状態で、そのジヤンバーを彦田が足を伸ばし上体を起こしている藤野さんから脱がせたのです。ズボンを鈴木が脱がせた状態は………藤野さんのズボンの腰のあたりを引張つていた記憶があるくらいです。もう少し、よく思い出してみます。」との供述記載部分は、前者については、ズボン等を脱がした地点として同調書添付図面中に図示した部分、後者については、藤野のズボンを脱がそうと言いだしたのが誰かという点を除き、いずれも信用するに十分でありこれに反する被告人鈴木の検調や原、当審公判における弁解は信用できない。そして、被告人彦田、同森の右各検調をはじめ関係証拠を総合すると、被告人らが藤野を新左近川水門脇の高水敷に連行したのち、同地点において森あるいは鈴木のいずれが先に言つたかは判然しないが、結局は両名で証拠隠滅の趣意から藤野の当時着用していたジヤンバーなどを脱がせようと話し合い、これに応じ被告人彦田が藤野のジヤンバーを、被告人鈴木が藤野の防寒ズボンを脱がせたこと、被告人森が鈴木とともに右防寒ズボンを脱がせ、あるいは鈴木の右行為を手伝つたことについては、断定するに足りるだけの証拠はないが、被告人森は、右の被告人鈴木との話合いにより少なくとも、鈴木、彦田の右所為を、その後に藤野を水中に入れることの前提として、証拠隠滅の趣旨からなすものであることを承知の上で容認、賛同していたと優に認めることができる。

(6)  原判決は、罪となるべき事実、争点に対する判断の項で、被告人三名が新左近川水門脇の高水敷で藤野を取り囲み、主として被告人鈴木において、「この野郎」「いつまでふざけてるんだ。ぶつちめるぞ。」「飛び込める根性あるか。」などと脅しながら藤野を護岸の際まで追いつめ、さらに同被告人において長さ一メートル位のたる木で藤野に殴りかかろうとするなどし、逃げ場を失つた同人を護岸の上から新左近川の水中に転落させて溺死させたと認定している。

しかして、被告人森の2・24検調第九項、被告人彦田の2・23検調第九項、第一〇項には、右原判示認定にそう供述記載があり、一方被告人鈴木の2・25検調第六項、第七項にも、森、彦田、鈴木が新左近川水門脇法留において藤野を脅し、鈴木が最後に藤野に対し「この野郎いつまでもふざけてんじやねえ、ぶつちめてやるぞ。」と激しく脅したとき藤野が「よし」といつて新左近川に飛び込んだとの供述記載があり、これに、前述した、被告人鈴木、同彦田の第一、第二現場における執拗な暴行の状況、藤野が右被告人両名の暴行に先立ち飲酒したことにより相当酩酊しており、しかも鈴木、彦田の右暴行により身体的に衰弱していたこと、第二現場から第三現場へ移動した経緯、第三現場の地形や、同所高水敷上で前記藤野のジヤンバーやズボンを脱がせた事実などの点を総合勘案すると、被告人森、同彦田の前記各検調中、原判示認定にそう供述記載部分は、右被告人両名の捜査段階における供述の変遷や両被告人の検調上での供述の相異点を考慮しても、信用するに十分であり、これら関係証拠を総合すると、被告人三名は、藤野の防寒ジヤンバー、防寒ズボンを前記のごとく脱がせたのち、藤野を新左近川水門脇高水敷の、同河川護岸コンクリート法留付近まで追いつめながら主に被告人鈴木が長さ一メートル位のたる木を手にして、藤野に対し、「この野郎いつまでふざけてるんだ、飛び込める根性あるか」等と脅したため水際までおいつめられ脅かされて逃げ場を失つた藤野が右地点から新左近川の水中に落下したことが認められ、これに反する被告人三名の原、当審公判廷における弁解はいずれも措信することができない。

しかして、関係証拠によれば、被告人鈴木においては、藤野が新左近川に転落した後、荒川本流側法留付近で拾つた、長さ約三ないし四メートルのたる木を手にして、藤野が流されている方向に向け、その水面を突いたり、たたいたりし、さらに藤野が水中に沈んだことを見届け、被告人森、同彦田にあつても、それぞれ荒川本流側法留付近まで至つて藤野が水中に沈むのを見ていることが認められ、これに反する被告人三名の原、当審公判廷における弁明はにわかに措信することができず、他に記録並びに当審での事実取り調べの結果を検討しても、右認定を左右するに足る特段の事情は存しない。

(7)  藤野が本件当時着用していた防寒ジヤンバーについては、現在に至るも発見されていないが、福井政雄の司法警察員に対する昭和五六年二月二一日付供述調書には、同人は、同年一月初旬ころ、新左近川と荒川との合流点南方約三〇メートルの本件第三現場の荒川側法留内側の水溜り中のタイロツト(鉄の丸棒)の下に、うぐいす色、ナイロン製の防寒ジヤンバーが背の部分を上にして浮いているのに気付き、他の作業員に「防寒ジヤンバーが浮いてるよ。」と言つたとの供述記載があり、また、被告人森は原審第四回公判において、「年の明けないうちの二八日に、しばらく休みになるので最後の仕上げとしてブルで土盛りを押しに行つたとき、左側の水溜りにジヤンバーが沈んでいるのを見た。」旨供述しており、また長根幸男の司法警察員に対する供述調書には藤野着用の右防寒ジヤンバーの色は「草色」であつた旨の供述記載があり、これらによれば右被告人森と福井のいうジヤンバーは同一のものであると推認でき、それがあつたという位置や色彩に鑑みるとこれが藤野の着用していたものと同一であると見ることができ、一方、第三現場から約一・五キロメートル下流にあたる方向の人工なぎさから完全に裏返しになつた状態で発見された防寒ズボンは本件当時藤野が着用していたものである。

そして、これらと、被告人鈴木、同彦田が第三現場で藤野から防寒ジヤンバーや防寒ズボンを脱がせたのは、藤野の身元がわからないよう証拠の隠滅のためになしたものであることを併せ考えると、被告人鈴木、同彦田が第三現場で脱がせた防寒ズボンや防寒ジヤンバーは、これを被告人三名のうちの誰かが藤野の落下した地点付近の川及びその付近に投棄、処分したものと認めるのが相当である。

(8)  以上検討したところを総合すると、被告人ら三名に藤野に対する未必的殺意が生じたのが、藤野が新左近川に転落するのに先立つどの時点からであつたかはともかくとして、遅くとも第三現場の高水敷上で被告人鈴木および同森の話合いにもとづき、被告人彦田が藤野の防寒ジヤンバーを、同鈴木が防寒ズボンを脱がせ、被告人三名が同所で藤野をこもごも脅した時点においては、被告人鈴木、同彦田はもちろん、藤野に対しかねて恨みをいだいていたことはなく第二現場では被告人鈴木らの暴行を制止した被告人森にあつても藤野を水中に転落させれば死亡するかもしれないが、それもやむを得ない旨意思を通じ合つて右所為に及んだと認めるのが相当であり、原判決が同旨の認定をするところは、当裁判所も結局相当としてこれを肯認することができ、原判決には、所論のごとき証拠の評価の誤りや事実の誤認は存在せず、従つて、事実の誤認を前提として法令適用の誤りを主張するところも失当であり、この点の論旨は理由がない。

第二、被告人鈴木、同彦田の各弁護人の控訴趣意第二点量刑不当の論旨並びに職権による被告人森に対する原判決の量刑の当否について

被告人鈴木の弁護人及び同彦田の弁護人の各所論は、要するに、被告人鈴木を懲役八年に、同彦田を懲役六年にそれぞれ処した原判決の量刑は重きに過ぎ不当である、というのである。

そこで、右各所論に徴し、また、被告人森の関係では職権をもつて、記録を調査し、当審における事実取り調べの結果を併せ検討すると、本件は、被告人鈴木及び同彦田が、本件の数日前藤野を含む数名の者から受けた暴行に対してなした仕返し行為を発端として、無抵抗の同人に執拗かつ激しい暴行を加えたうえ、抵抗する力を失つた同人を車で荒川護岸工事現場まで連行し、同人の着用していた防寒ジヤンバー、防寒ズボンを脱がせたうえ、真冬の深夜、第三現場の川に転落すれば死亡するに到るであろうことを認識しながら、それもやむなしとして脅迫・暴行を加えて同人を荒川に流れ込む新左近川の法留に追いつめ、水中に転落、溺死させた事案であつて、その犯行の動機に酌むべき点はなく、犯行の経緯、態様結果、被告人三名の果した役割等、特に、被告人鈴木は、第一、第二現場の暴行に際して終始積極的に行動し、第三現場においては藤野が当時着用していた防寒ズボンを自分の手で脱がせ、藤野を新左近川水門脇高水敷上の法留まで追いつめており、さらに藤野が川に転落した後は、長さ三メートルを超えるたる木を手にして流される藤野に沿つて移動しながら右たる木で水面を突きあるいはたたくなどしていたもので、その犯行態様は執拗、残酷であり、藤野が川に転落した後の同被告人の行為は殺人の未必的故意というより確定的故意に基づく所為と見られなくもない行為であり、犯情は最も悪質である。被告人彦田にあつても、第一、第二現場での暴行は藤野の顔面に頭突きを加えるなど、その態様が執拗かつ激しいものであり、第三現場においても藤野の防寒ジヤンバーを脱がせ、藤野を川岸に追いつめる行為に加わるなど本件においては被告人鈴木に追随したとはいえ重大な役割を果たしていること、また、被告人森は、藤野に対し直接は恨みはなく、一旦は第二現場で被告人鈴木の暴行を制止しながら被告人鈴木、同彦田を第三現場へ案内し、第三現場においても藤野の着衣を脱がせることを了承・容認し、藤野を川岸まで追いつめる行為に加担しているもので、本件につき被告人森の果した役割も重大であつて、被告人彦田、同森の各犯情は被告人鈴木に比して軽いとはいえ悪質というほかなく、尊い人命を奪うという重大な結果を発生させた被告人三名の刑責は重いといわなければならず、原判決の量刑は原判決時においては相当であつたと認められる。

しかしながら、殺人の犯意形成過程も、その場の状況の流れに応じて序々に形成されたものであり、特に被告人森については被告人鈴木らにより犯行に引き込まれたといえなくはないこと、被告人らは、本件につき殺意を否認して争つているとはいえ、事案の重大性を認識し更生を誓つていること、被告人鈴木、同彦田の親族の努力により原判決の後である昭和五七年二月九日、それぞれ二百万円を支払つて被害者の遺族との間で示談が成立し、被告人らを宥恕するに至つており、この点は右被告人両名ばかりでなく被告人森の関係においても有利に考慮するのが相当であること、被告人らの家庭の情況等被告人三名にとつてそれぞれ有利な又は同情すべき事情を考慮すると、被告人三名に対する原判決の量刑は現段階では重きに過ぎ不当になつているものであるというべきである。

以上によれば、被告人鈴木、同彦田の各弁護人の論旨は結局理由があるから、また被告人森については職権により、いずれも刑訴法三九七条、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い被告事件について更に判決する。

原判決が認定した事実に、原判決と同一の法令を適用し、処断した刑期の範囲内で、被告人鈴木常春を懲役七年に、被告人彦田英一を懲役五年に、被告人森誠一郎を懲役五年にそれぞれ処し、原審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条を、原審における訴訟費用中、証人吉田俊雄に支給した分につき刑訴法一八一条一項本文により被告人鈴木の負担とし、当審における訴訟費用中、証人〓慶禄、同小平シズエ、同河西常春、同細川匡二、同宮地公洋に支給した分は同法一八一条一項本文、一八二条を適用して被告人三名の連帯負担とし、原審における訴訟費用中、被告人森の国選弁護人田中郁雄に支給した分、当審における訴訟費用中、被告人森の国選弁護人水口昭和に支給した分については同法一八一条一項但書により被告人森に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

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